「社内報」という言葉の呪縛

社内報の制作担当としては、いわばNGワードなのかもしれませんが

 

社内報という言葉、
実は、かなり、創るものの方向性を縛ってしまう言葉でもあります

 

皆さんも、「社内報」 と口にしたとき、その瞬間に頭の中になんらかのイメージ、認識が浮かびませんか?
人は何かを作るとき、そのイメージ、認識から完全に逃れることはできません
そしてこの場合「社内報」という言葉はけっこう強力なのです
・会社専用の印刷物
・会社が作るもの
・会社の利益に即した社内用のPRツール
などなど
そんな背景も後押しし、どうしても社内報は、
社内報としてあるべき姿という抽象的な力に誘導されてしまいがちなのです

 

それでよし! となる場合ももちろん多数あります
発行目的が、シンプルな情報共有であったり、理念浸透、創業者精神の共有、教育といったものであれば、「堅さ」はむしろ必要なものです

 

ただし、読まれやすくするには、相当の工夫が必要です

 

コミュニケーションツールとして使いたい場合や、モチベーションを高めるといった
発行目的がある場合、この「社内報」という言葉は、適さない場合もあるのです

 

弊社は、時にこの「社内報」という言葉を使いません
例えば、弊社の事例でいえば、こんな言葉に定義したお客様がいます
・やる気マガジン
・パワーマガジン

 

これは言葉遊びではありません。
社内報という冊子の方向性、制作側のポリシー、読者に伝わる波及力
すべてに、けっこう影響する大事な最初の組み立てです

 

だからこそ、自社で作ろうとしている媒体の本質をちゃんと考えると
こんな出だしの出だしから、いろいろ考えることってあるんです