捨てられる社内報。問題があるのは、捨てた社員ではなく、編集サイドなんです!

おはようございます

 

暑い・・・と口に出しても暑さは変わらないのですが・・・
暑い・・・
まあ暑いもんは暑いですね
それが夏ですもんね
麦茶飲んで元気で今日も一日がんばりましょう

 

というわけで、昨日の続きです

 

大学生向けに書かれた冊子を小学生に渡しても捨てられるだけ

 

これをやっている社内報がけっこう多い、と昨日書きました
大学生や小学生という言葉は、ちょっと問題のある言葉だなあと、自分でも思いますので
言い換えると、
発行側と従業員読者との意識のズレが、社内報をすぐに捨てられるものにしてしまっている
ということです

 

よく目に付くのが
経営陣発信による、「当社の従業員の意識はかくあるべし」的なメッセージ
インタビューだったり、特集などにして姿を変えていたりしても、同じテイストで発信されています

 

目の前の事を完ぺきにこなし、かつ挑戦し、奉仕し、勉学し、啓発に努め・・・・・

 

確かに、一流のビジネスマンになるために、必要なマインドセットかもしれません

 

が、従業員が「なるほど、そのとおりだ、今日から心を入れ替えてがんばろう」と
社内報のメッセージを受け入れてくれるかどうかが、発行における大事な問題です
捨てられていては元も子もないのです

 

従業員がそうしたメッセージをすんなり受け入れられない理由はさまざまです

 

疲れている、がんばりに評価がない、会社の理念・方針が不透明、知らされるべきことが知らされていない
昨年のリストラが尾を引いている、個人的な資質、上司が・・・、部下が・・・、・・・エンドレス

 

こうした諸問題が軽くなって行かない限り、意識の高い社内報をいくら発行しても
読者の心には響かない = 無駄な発行を重ねる
ということになってしまいます

 

で、7/4の記事に戻るわけですが、結局のところこれは
その社内報が読まれないのは、100%制作サイドの問題だ
となるのです

 

明日ももうちょっとこの話を続けたいと思います

 

読んでくださってありがとうございます